大誠窯・栃木県

1861年(文久元年)創業。創業160年です。ぶ、ぶんきゅうって…?と思い調べてみると、時代は江戸時代の最後の方だそう。文久の次の次の次が明治です。江戸時代から代々続いている、歴史ある窯元です。

大誠窯は昔、大○窯というようにその時の窯主の名前一字を入れるというスタイルで、例えば窯主が慎也であれば大慎窯というふうに窯の名前を変えながら継承されていました。60年程前に作業場の隣でうつわの販売を始めたことをきっかけに、認知度の問題から大誠窯で統一しています。あのマツモトキ○シの社長が代わる度に店名が、マツモトキヨオとかマツモトキヨエになっていたらと想像すると少し動揺しそうですが、昔は割と普通のことだったようです。

そんな大誠窯7代目の誠一さんは名前にしっかり誠の字が入っています。8代目になるかもしれない息子さんにもしっかり誠の字を入れたそうです。最近3人目のお子さんも加わりさらに賑やかになり、誠一さんは髭も伸びて勇ましい雰囲気になりました。

現在は7代目大塚誠一さんとお父さまである6代目大塚邦紀さん、お弟子さんの三人で作陶しています。そしてそれぞれの奥さま方が販売所で接客をしています。作業場の隣には益子で最も大きな登り窯があります。

大きな登り窯の隣には小さな窯とピザ用の窯もあります。「お皿にお肉入れて塩胡椒して窯に入れて焼くのが一番うまいんすよ~」と誠一さんが美味しそうにおっしゃっていました。朝ごはんも普段から誠一さんが作るそうで、我が家との違いに驚いてしまいました。そんな誠一さんは日本人らしい顔立ちをしていますが高校時代にアメリカに短期留学しており英語も堪能です。留学先は小さな田舎町だったので差別もなくとても良いところだったと懐かしそうにお話ししていました。大塚家ではご姉弟全員、学生時代に海外に短期留学しています。

そんなグローバルな高校時代を過ごし、その後美術大学へ進学。卒業後に丹波での修行が始まります。7代目になることについては、小さい頃から家族みんなでやってるので疑う事なくやろうと思っていた、とおっしゃる誠一さん。しかし本当に焼き物を好きになったのは修行を始めてからだそうです。

誠一さんは今も山から益子の土を掘ってきて、米農家から貰ってきたワラで釉薬を作り、その土地のもの、自然なものを使ったものづくりを大切にしています。自分で精製する土は扱いづらかったり、焼いた時に不具合が出ることも多いので、全てを土から手作りするのは限界がありますが、完全なる手作りを続けています。

誠一さんと話していると、自分の窯だけではなく陶器の街として栄えた益子を継承し続けたいという強い意思を感じますが、その口調はいつも穏やかで優しくなんとも心地よいです。最近は消防団やらPTAやら毎日町内イベントに大忙しのようです。

【大誠窯のうつわ使ってみると…】

厚すぎず、薄すぎず。重すぎず、軽すぎず。厚みも重みもちょうど良い。そんな印象です。

大誠窯・入れ子鉢→

細部はツルッと丸みがあり、持ちやすく扱いやすい。洗い物をしているとよく「ああーなんか洗いやすいなー」と思います。注)一部に誠一さんの土から作ったシリーズは重たいものもあります。

なるべく固体差の少ないものを選んでいますが、窯の状態によって個体差が大きいものは結構あります。しかし、それでも一つ一つが美しく、時にチャーミングです。

大誠窯・イラボ湯呑み→

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